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28 August 防犯アニメに見る中国人の太極拳観-闘う呉公儀最近、軽軌鉄道に乗って車内でのテレビ放送を見ていたら防犯を呼びかける番組をやっていた。アニメなので面白くて分りやすかった。スリへの対処法から強盗への対処法まで詳しく説明されている。気になったのはちょびヒゲを生やした社長風の男がATM(現金自動支払い機)で大金を引き出して帰る際、ボディーガードの男が心配そうな顔のチョビヒゲ社長に向い
大丈夫、私は30年も太極拳を練習しているから
と言うシーンがあったこと。そしてその太極拳遣いはやって来た暴漢の襲撃を退ける。
普通、我々日本人の感覚では太極拳は健康法にしか過ぎないし、上海に長年住んでいる私にとってもそれは同じ。けどこういう公共の番組でこういうセリフが使われるということは、中国人にとっては太極拳はやはり武術なのだろう。太極拳と一口に言っても陳式や楊式、呉式、孫派など多くの門派があり、この中で陳式は河南省温県一帯で昔からやられており実戦武術としても有名でスピードも速い。一般に広くやられているのは楊式でこれは終始一貫ゆっくりした動作を練習する。以前は太極拳と言えばほとんどがこの楊式を指した。だが最近、陳式をやる人が増えているような気がする。虹口公園の入り口付近でやってるのはほとんどが陳式のようだ。呉式は香港で非常に普及している。それは呉公儀がそれまで香港の人気武術だった白鶴拳の陳克夫と互角以上の試合をしたからだ。そういえばマンガ島耕作の上海篇で、バーで口論する日本人を一瞬にして眠らせる武術の名人も太極拳つかいだった。とりとめもない文章になってしまった。
動画は香港での呉式太極拳の呉公儀と西蔵白鶴拳の陳克夫の試合です
21 May 中国語と武術の速さ現在、周囲に日本人がいない環境で生活している。最近、仕事のからみで久しぶりに日本人の方とお会いした。この方も長く中国に住んでいるという。たまたま中国人がこの方と話しを始めた。聞くともなしに聞いているとこの日本人の方の話す中国語が非常に速い。しかし若干不自然だ。おそらく速く話す事に意識が向い過ぎ、正確に話すことが疎かになっているようだ。私見だが普通、日本の方で中国語がうまくなると次ぎはできるだけ中国人の話し方に近付けようとし話すスピードを加速する傾向にあるようだ。しかし多くの場合、ただがむしゃらにスピードを加速しようとするあまり発音が不鮮明だったり、声が小さくなったりして結局、変な中国語を話しているケースもまま見られる。
中国人は自分が話している中国語が速いとは感じていない。この速さは正確な発音で普通に話すことを繰返すうちに自然と身についたもので、自分では全然速いとは感じなかったと思う。順序としては正確な発音で多く話すことを繰返すことで結果として話すスピードが速くなったというのが理想で、その時、自分では自分の話すスピードが速いとは思わないが、明らかに昔より速くなっているというのが正常な進歩のありかただと思う。
ここまで考えて思いついたのは武術におけるスピードの事だ。私は4年ほど上海の地場武術、心意六合拳をやっている。4年間でいろいろな種類の心意拳を見た。その中には非常にスピードが速いものもある。もし正確な動作を反復練習した結果として自然に速くなるのであれば内外が一致した本当の速さと言えるだろう。しかし、速さだけ真似して正確な運動線の反復練習を欠いたものなら、それはただ速いだけで威力が伴わないものになると思う。特に初学の場合はできるだけ大きな動作をゆっくりとやることで、正確な動作を身につけると同時に伸筋抜骨を行なう必要がある。
20 May 某武術門派との邂逅ある武術門派に非常に興味があったが縁がなかった。昨今のインターネットの普及にともない思いがけなくも日本にある同系列の一門の方とメールを通じご縁ができた。さらに同会で作製されているホームページも見ることができた。じつに面白い内容だ!いろいろその方にメールを通じて質問したい事が頭の中に浮かんでは消えていく。この方も10年以上修行をされているそうだがやはりメールではうまく質問できないし、相手の方も答えるのは難しいだろう。なにしろ一度もお会いしたことがないのだから。
尋隠者不遇
贾島
松下問童子
言師採薬去
只在此山中
雲深不知処
隠者を探しに行くも遇えず
松の下で弟子に師がどこにいるか尋ねると
山に薬の原料を採りに行ったという答え
山の中にいるのは確かだが
雲が濃く、山のどこにいるかまでは分からない(という)
この詩も表面的な意味の下に隠された意味がある。ある門の中で修行する弟子に師範のレベルを質問すると、非常に高いレベルにある事は分かるが具体的にどれほどの高みにいるのかは分からない、という意味のようだ。
この方も中国に来られるという。お会いするのが楽しみだ。
注:贾島(779-843)。唐代の詩人。
04 May 久しぶりの稽古-心意連環拳今日は本当に久しぶりに武術の稽古に行った。何カ月ぶりかな。行くと新顔が6人もいる。師も商売繁昌と言ったところ。年輩の孫さんが冗談めかして私に
学好了、就不来呀!
全部習ったらからもう来なくなったのかと思ったよ!
とか言ってる。本当にいいオヤジだ。私も
小宝宝已経8公斤了、老婆一個人照顧不了。
子供が8キロになって、嫁さんひとりじゃ大変だから来れなかった
と言い訳した。
年輩の人はいい人ばかりだが、若い人は対抗意識が強かったりしてやりにくいこともある。幸い今日は若い人は来てないようだ。
師が来た。以前師からお借りした師ご自身で作製された鶏形のDVDをお返しした。また以前頂戴した心意太極とか、養生功と呼ばれている套路のDVDを見ながら練習していることを話した。これは十大形の技法が連続した形で、連環拳とでも呼んだ方がいいのではないかと秘かに思っている。私見だが、私はこの連環拳が心意拳の母拳に相等し十大形が子拳ではないかと考えている。そういう意味では二つとも練習が不可欠だ。十大形の練習は一度に全部やることはできないためその動作に含まれる気の練習に偏る。連環拳の練習により気の偏りを修整できる。しかし心意拳においてこの連環拳の存在は知られておらず師もまた余り話したがらない。いずれにしろ師はこの連環拳を非常に重視している。
師が新人に収勢の指導を始められた。今日は新人が多いため、うち2人の指導を私に任せられた。今回は非常にうまく教えることができた。さすがに以前、3回収勢を教えた経験が活きた。新人のひとりが私の発音を聞き、福健省出身ですかとか言っている。以前はよく広東省出身と間違われたが福健省は初めてだ。隠してもしかたないので日本人と言うと驚いていた。
私にとって武術は自分が学ぶものしての認識しかなかったが最近少しづつ教拳という新しい世界が開けて来た感じだ。自己の学習と指導という全く異なる行為を平行してやっている。指導することで自己も学んでいるわけだが、やはり指導に時間をとられるのは少しだけいやかな。どんなに習っても自分は学習途上にある気がするから。
29 March 月夜の短棍-心意六合拳の兵器心意拳を始めてまもなく4年になろうとしている。日本にいた頃から中国武術に魅了され、人生の大半を国術とともにした。上海に来たばかりの頃も、必死に心意拳を探した。見つけた時の嬉しさは言葉では言い表せないほどだ。練習を始めたばかりの頃、門弟たちは日本人に対する偏見があり、もし私が1カ月間1日も休まず通えたら教えてやってもいいという条件を出してきた。同意する私。結局、1カ月通い続け練習許可を得ることができた。ただ最後の日、門弟の一人と排打功をやった際、彼の凄まじい靠(肩による体当り)を右の胸部に受け2カ月程右手が動かなくなった。そんなに日本人に教えたくないのか?それとも偶然?真偽はいまだに不明だが、心意拳を愛すればこその行為と思うと怒る気にもなれず複雑な心境だ。
今年になってから短棍を習い始めた。国術の世界ではよく兵器(武器のこと)は手の延長と言い、実際、心意拳は姫蔡可が大槍の動きから創出したらしい。兵器の練習をやることで拳の理解が深くなる。普段は朝と午後、公園で練習をしているが、短棍は夜にやる。短棍はすべての技が秘伝なので、絶対、人、特に武術家に見られるわけにはいかないからだ。最初の練習の日はたまたま満月で月明りに照らされながらやった。神秘的な雰囲気に満ちていた。
基本技の龍調膀をやる。これは拳にも同じ名前の技があり、それを短棍を持ってやるわけだ。拳での動きが正しいなら理論上は短棍でもすぐにできる。短棍で龍調膀をやることで、自分の(拳の)龍調膀の欠点をすぐ知ることができた。まだ基本技しか習ってないが、短棍は本当に拳に役立つと思う。
23 March ジェットリー映画霍元甲、孫に訴えられる以前書いた、ジェットリーが訴えられるかも、の続きです。
昨日、コンビニで買った上海電視(上海のテレビガイド)に例のジェットリー映画霍元甲事件についての続報があった。どうやら、霍元甲の孫の霍寿金氏が映画霍元甲の配給会社である中国電影集団北京制作室、安楽電影有限公司を名誉毀損で訴えたようだ。原告側の主張は、
同作品は、一人の民族的英雄である愛国武術家霍元甲を争い好きで殺人狂と描いており、霍元甲のイメージを著しく曲解している
というもの。また
同作品中の、霍元甲の人生観の変化(武術の悟りも含む)が盲女の助けによってもたらされ、7年間も阿牛と呼ばれながら生活をした点。
霍元甲の母と娘が殺害されるシーンは、映画を観る者に本当に霍元甲が一族を滅亡に追いやったと誤解させる危険があり、これは霍元甲の生前の名誉を毀損するだけではなく、霍元甲の子孫の名誉を損い、精神的にも大きなダメージを与えるもの。
とある。
裁判の結果、どういう判決が出るか分からないが、今後、近代の歴史上の人物を題材にした映画制作の考え方に大きな影響があるようだ。 21 March 香港の精武門-霍元甲の成果今度は霍元甲のプロフィールにアクセスが集中しているようなので、またまた霍元甲絡み、というか香港精武体育会の話を書きます。
仕事の関係で2002年10月から半年間、香港に住んだ。この香港行きは降って湧いたような話で、心の準備も何もできないまま身体だけ香港に運んだようなものだった。仕事も未経験のものだったので慣れるまで悪戦苦闘の日々だった。
初めての香港だったので何もかもが新鮮で、普通に道を歩くだけで毎日発見があった。行く前から必ず見ようと決めていたものがある。それは香港精武体育会だ。香港に来たその週末に早速行った。ジョーダン駅前の古いマンションの一室にそれはあった。なんて狭い部屋!というのが最初の感想。自分が持っていたイメージとのギャップに驚く。ただ上海の精武会では伝統武術はそれほどやられていないのに、ここでは20種類近い伝統武術を教えている。霍元甲が伝えた迷踪芸は勿論、鷹爪翻子拳、詠春拳、洪家拳、螳螂拳、心意拳などなど武術の博物館のようだ。さすが香港。文革で弾圧された大陸とは武術の状況が異なっている。あとムエタイやボクシングもやっている。精武会に限らず、公園や町道場でも武術が盛んだ。特に呉氏太極拳が公園で激しい練習をしていた。虹口公園でもよく陳氏太極拳の人達が推手というユックリ推し合う練習をしているが、呉氏では実際に技をかけあって相手を地面に投げ伏せている。そのため皆の着衣は泥まみれだ。呉氏の練習者は完全に闘いを想定して練習をしている!
精武会に話を戻すと、ここでも心意拳を教えている。行って話を伺うとどうやら盧嵩高の3大弟子の一人、練功第一と呼ばれた孫少甫の系統だ。曾徳寧氏が教練をやっている。上海のものと比べて柔らかい感じだ。短い期間ではあったが有意義な交流ができたように思う。
香港精武体育会だけでなく、香港武術全体から受けた印象は、香港人の高い知性を反映してか、動きが正確で美しく、繊細だった。大陸の武術は正確さはともかく背筋が凍りつくような迫力を感じる。
写真、右は香港心意門の曾徳寧氏、黒い功夫シャツは私の師、呉秋亭先生、他は曾氏の門弟。2005年虹口公園にて。
13 March ジェットリーが被告になるかも?-映画「霍元甲」最近、芸能ニュースで面白いのをやってた。例のジェットリー映画霍元甲に関するものだ。霍元甲の曾孫の霍自正氏が霍家を代表してジェットリーを訴えるという。以下はネットニュース北方罔の一部翻訳です。
訴える理由の第一は、同映画で描かれる霍元甲の性格が狂暴な点や、鉄刀門の掌門を殺して元甲が一族の罪人になったことなどの描写が捏造したものであり史実と異なるという点としている。
霍自正氏は、ジェットリーや映画関係者が、映画の中に事実と異なる部分があることを発表し、霍家に謝罪し、権利侵害を停止すれば、賠償は一切いらないとも言っている。
委託を受けた弁護士(楊仲凱)は、同案件はいくつかのキーポイントがあるという。一つは、いったい誰が被告になるのかという点だ。映画の出演者か、制作者か、出資者か、配給会社かという問題。二つ目は、ジェットリーも被告になる可能性が高い点。ジェットは出演者でもあり出資者でもあるからだ。また、映画の中で、純属虚構(すべてフィクション)という表現を使ってはいるが、映画を公開する前に霍家の許可をとっていない点も問題がありそうだ。また現時点(2月19日)まで映画関係者は霍家に何の連絡もとっていないという。
楊弁護士は、同件はまだ訴訟の段階ではないと話し、1週間以内にこちらから映画関係者に連絡をとって、相手側が霍家に対し誠意ある対応をとれば訴訟の必要はないとした。
上はサイトにあったニュースの翻訳です。同弁護士は、この映画はすべてフィクションである、という説明を入れるだけでは法律的には十分ではないと言ってます。この記事は2月20日のもので、その後どういう進展があったのか詳しくは不明ですが、一昨日たまたまテレビで霍家の長老らしき人が出演されて、憤慨してたので、どうやら収まったわけではなさそうです。
続報があればお伝していきます。
05 March 雑誌「東方航空」の取材-盧嵩高昨日、マカオ電視台が我々の練習場所である鲁迅公園の一角に取材に来た。その際に、呉師範が東方航空の雑誌でも以前、取材があったと言い、その雑誌を貸してくださったので、ここに紹介します。
心意六合
仗義衛徳
昔、上海武術界に2人の拳王がいた。一人は天津出身の霍元甲、もう一人は河南省出身の盧嵩高。盧嵩高は上海で、盧式心意六合拳を創始した。
心意拳は別名を、岳武穆王拳とも称し、岳飛が創始したとされ、兵士の訓練に用いたとされている。盧式心意六合拳は河南心意六合拳を継承し発展させたもの。盧嵩高は抗日戦争の時、死んでも売国奴にはならないという誓言を守り、武術界の仲間からひじょうに尊敬されていた。
盧嵩高(1875-1961)河南省周口出身。回族。
10歳の時、心意門第七代伝人の袁鳳儀に入門し、26歳の時すでに超人的な功夫で周囲から認められ、河南周口にある得勝镖局で镖師になり、河北省、山東省、四川省などにi赴いた。旧中国は頻繁に戦乱があり、人民の生活も非常に苦しいものだった。盧嵩高は河南から安徽省、安徽省から上海へと移住した。紹介を通じて陳公館で保镖になり、その後、陳家で倉庫管理をやる。この時期、多くの者が盧嵩高の名を慕い集まった。その後、数十年、盧嵩高は武術の指導をした。
ある日、河南省から来た李某は盧嵩高の功夫の深さを信じず、挑戦するも、盧嵩高と向き合うやいなや盧嵩高の挑領により3メートルあまりも飛ばされてしまった。李は一言も発することなく逃げ帰ったという。
抗日戦争が終わり、多くのアメリカ兵士が上海にやって来た。ある日、盧嵩高が公園での練習を終え出て来た時、2人のアメリカ兵が路上でボクシングの練習をし、通行人が迷惑しているのを見た。盧嵩高は怒り、側にいた弟子の王書文に
书文、你从旁边走、看我怎么教训这两个家伙
書文よ、離れて私がこいつらをどう懲らしめるか見ていなさい
と言った。
書文はただ盧嵩高が両手をゆっくりと上に向けて伸ばしながら2人の間に進み、腰を一振りすると、2人アメリカ兵が両側に倒れたのを見るただけだった。立ち上がった2人の兵士はまだ一体何が起きたのか分からなかった。通行人も一体なぜ2人の兵士が突然倒れたのか分からなかったという。
解放後、上海の武術を練習する人が増え、武術協会もたびたび武術老師による武術演武会を開催した。盧嵩高も一度、台上で四把捶を演武した。盧嵩高の演武は参観者の一人、海灯法師を魅了した。翌日、海灯法師は仏家の四色礼品を携えて盧嵩高を訪れた。盧嵩高もその後、弟子の王書文を連れて海灯法師を訪れる。当時、海灯法師は上海で主に、梅花椿、長拳、器機套路を教えていた。時々、二指禅という少林拳の絶技を演武した。海灯法師はよく盧嵩高を訪れ、茶を飲みながら交流した。ある日、盧嵩高は海灯法師の功夫を試そうと思い、心意拳の技の一つ、猿竪蹲で海灯法師の前に立ち笑いながら
大師、伸伸手!
海灯法師、どうぞ手を伸ばしてください
と言った。
海灯法師は笑いもせず動くこともなかった。すでに名声を得ている海灯法師は軽軽しく人と試合をしない。万一負けて名声を損うのを恐れたのだ。
盧式心意六合拳の奥深さは多くの人を魅了し、養生、長生の効果も注目を集めている。2005年は盧嵩高の生誕130年周年でもあり、この文を謹んで記念とします。
この文章は河南心意六合拳の余江さんが書きました
04 March マカオのテレビ局が取材に来た!-盧式心意六合拳昨日、盧式心意六合拳の呉秋亭師父(第4代伝人)から電話があった。今日朝からマカオテレビ局が盧式心意六合拳を取材に来るから僕にも是非参加してほしいとのこと。面白そうなのですぐ同意。早速さっき練習場所に行って来た。
練習場に着くと、テレビ撮影用の大きめのカメラを持った人が5、6人なにやら準備している。見ると同門の兄弟弟子や師叔(師の兄弟弟子)まで来ている!同門弟子が10数人一同に会した。皆、簡単な基本動作をやってウォーミングアップやったり、得意な技を黙々と練習している。
しばらくすると撮影が始まった。最初は師の四把捶の演武からだ。すごい!いつも見慣れているはずなのに今日は特にいい動きだ。次ぎに弟子による表演。順番に演武が始まる。僕は虎撲、虎摆尾、虎登山のコンボをやった。それともう一つ、今まででおそらく数万回はやったであろう収勢をやった。こっちの方ができがよかったようだ。たまたま来ていた日本人観光ツアー団体が我々の演武&撮影を取り囲むようにして見学している。そのうちの一人が僕が日本人と知ったらしく質問してきた。もし僕が日本に戻ったら教えてほしいと言っている。残念ながら上海に定住してますと言ったら驚いてた。
合計1時間ほどの撮影だったが、あと盧少君少師父や于化龍先生にも取材し、その後さらに編集されるのではたして僕のやった動作が使用されるとは限らない。しかも放送はマカオ地区限定らしい。もしどなたかマカオ在住の方いらしたら是非ご覧ください。赤のシャツに黒のズボンを穿いているのが僕です。 26 February 霍元甲のプロフィールスペースのアクセス解析を見ると、霍元甲の記事1つに数百アクセスがあった。今日はおまけで霍元甲のプロフィールを書きます。
霍元甲(1868-1910)
本籍は河北省だが後に天津に移り住む。代々、河北の名拳、秘宗拳を伝える家に生まれる。身体が虚弱な元甲に父親の霍恩第は武術を教えなかった。中途半端に修業し、他門の武術に負けたら家名を汚すことになるからだ。だが元甲は秘かに秘宗拳を独習し、かなりのレベルに達する。ついには門弟の中で一番になり、恩第も正式に元甲へ武術を教え始める。その後、元甲は以武会友で、多くの他門の武術と交流し、迷踪芸という秘宗拳をバージョンアップした新たな武術をつくり出す。
秘宗拳は別名、燕青拳とも言い、水浒伝の燕青が得意としたという伝説がある。一般の武術の型が一直線上や円周上を歩くのに比べ、非常に複雑な運動線上を移動することを特徴としており、水浒伝でも燕青が官憲の追跡を撒くため雪上でこの迷踪歩法で足跡を残し、見事に追跡を逸す。迷踪芸は霍元甲がその秘宗拳をさらに改良したものという。
その後1896年、山東省の武術家、劉振声が霍元甲への入門を希望。霍元甲は門外不出の禁を破り、劉振声を弟子にする。
1898年、譚嗣同の変法運動の際、8カ国連合軍によりさらし首にされた大刀王五(王子斌)の首をとり戻し、老残遊記の作者、劉鹗の協力の下、大刀王五の首と身体を合せての葬儀に成功する。
1909年、イギリスの奥皮音に打ち勝ち、1910年、友人、農勁荪の協力により上海に精武体育会を設立。孫中山が霍元甲に尚武精神という四字を贈る。1910年9月、日本柔道協会の会長が10数人の門弟を率い、霍家門と試合をし、霍元甲の弟子に敗れる。同会長は、その後の宴会の席上で、霍がセキをしているのを見て、日本の医者を勧めるが手当ての甲斐なく9月14日亡くなる。享年42歳。
上海精武会はその後、霍元甲の弟、霍元卿に引き継がれ、10数年後には42の支部、40万人の会員を擁するまでになる。
22 February ジェットリーの英雄(邦題:ヒーロー)を見て最近、たまたまこのスペースのアクセス分析を見るとジェットリーの霍元甲に集中してたので、ついでに以前書いたコラムを以下に紹介します。
2年前、香港銅羅湾で張芸謀監督初の時代劇「英雄(邦題:ヒーロー)」を見た。
ストーリーは始皇帝暗殺をもくろむ4人の刺客の物語。梁朝偉(トニー・レオン)演じる残剣は剣術と書法の達人で、彼の「剣書一如」という言葉が印象に残った。 中国の武術では剣は特別な存在で、「剣は百兵の王」とか「百日刀、千日槍、万日剣(刀は3カ月でマスターできるが、剣は30年かかる)」と言われるほど奥深いとされる。刀は片側のみに刃があり剣は両側に刃があるという違いから、剣は突きが、刀は打が技法の中心になる。
日本の剣道は中国式に言えば刀道だ。刀の動きが美しい円を描くのは、「単刀直入」ではなく何事も婉曲を好む日本人の性格のせいか、などと映画を見ながら無責任な想像を膨らませた。 04 February 心意童子功数日前、月子が終ったと知った心意拳の師が訪ねて来た。師は1歳半になるご子息を連れていた。久しぶりに会った懐しさで、長く話し込んだ。突然、師はご子息を抱え上げ床と平行になるように持った。ご子息は下向きで、驚いたことに、その状態からちょうど腹筋運動の逆、つまり背筋運動を10回ほど軽がるとこなした。相当背中の筋力が強いようだ。師は
これは童子功をやったからだ
と説明された。
生まれて1カ月目ぐらいから幼児に施す特別な訓練法のことらしい。早速習った。どうやら少林童子功とは全然違うようだ。師によると、本来、すべての伝統武術に童子功があったらしい。今ではかなり失伝しているという。
数日やって、これは子供だけでなく自分も同時に鍛練していることに気がついた。
師によると、解興邦公のご子息である解和平師も幼時からこの心意童子功をやったため、武術の根基が違うと言われた。解和平師の功夫が人並はずれていたことは衆知のことだ。
30 January 以武会友と尚武精神-「霍元甲(Fairless)」を見て(今回は映画のストーリーを詳しく書いてます。知りたくない人は読まないほうがいいかもしれません)
映画霍元甲の本当のテーマを一言で言うと、以武会友(武術による交流)だろう。
そのことを霍元甲の生涯を通し象徴的に表している。霍元甲はもともと天津の武術家で、代々、迷踪芸(別名:燕青拳、秘宗拳)を伝える家に生まれる。子供の頃、身体が弱く、父親が彼に武術を教えなかったという点を史実に忠実に再現していた。ライバルである趙家拳を伝える趙家との葛藤を通じ、天津で最強になることがいつしか人生の目標になってしまう。最後、天津最強と言われていた鉄刀門の掌門を殺してしまう。その後にあるのは、鉄刀門の報復と、残された遺族の悲惨な境遇だけだ。
霍元甲はその後、以武会友こそが武術の目的だと悟る。1907年、中国の利権に目をつけた列強がぞくぞくと上海に押掛けた。イギリス人の奥皮音は多くの中国武術家を倒し、中国人を東亜病夫と罵る。それを見た霍元甲は怒りのためではなく、中国人の誇りのために上海に行き、奥皮音と決闘をする。以前は決闘の際、必ず生死状にサインしどちらが死んでも恨みっこなしと誓っていたが、今回は生死状へのサインを拒否し以武会友と答えた。武術を通じ奥皮音と友人になりたいと!映画のハイライトのひとつだ。
最後、奥皮音が場外に設置された無数のクギの上に落ちそうになるのを霍元甲が必死になって支えて止める。感動した奥皮音が霍元甲の手を差し上げ、彼の勝利を宣言する。
また中村獅童演じる、田中が霍元甲を招いたお茶会で霍元甲は
多くの武術があるが、武術には優劣はなく、あるのは武術家の優劣だけだ
と語る。
心意門の拳譜にも
武術非人与人争之事があり
牡丹花開満樹紅
后来结果几个成
可见奇才多了用
惜乎奇才不多生
武術は人と争うためのものではないとわかれば
牡丹の花が樹上に満開になり
やがて素晴らしい果が実るように
素晴らしい人物になるだろう
素晴らしい人物は滅多に生まれないが
というのがある。
俗に武術の世界は恩恩怨怨と言う。門派同士だけでなく同門内でも、いや同門だからこそ時に敵対することがある。この映画はジェットリー自身の体験かセリフになっているものもあるというが、彼が言いたかったのは恩恩怨怨は止めようということではなかったのかと思ってしまった。
映画の最後に孫文が霍元甲に贈った直筆の尚武精神の書が花を添えた。
29 January ジェットリーの霍元甲(Fairless)を見て昨日、ジェットリー映画、霍元甲Fairlessを見た。
先に結論を言うと、非常によかったと思う。一番よかったのは、いままでの数ある精武門や霍元甲ドラマ、シネマの作品の中で初めて日本人がよく描かれている点だ。Fairlessとは不公平という意味で、霍元甲が中国を代表し、イギリスと日本代表の武術家4人と一人で闘うことを指している。中村獅童が九鬼流柔術の日本人、田中役を演じていたが、田中は霍元甲が一人で4人と闘うことを知らなかった。秘かに霍元甲のお茶に毒を盛った商工会の三田という日本人が最後、なぜ霍元甲を勝たせたのかと田中に問いかける。田中は
いさぎよくありたい!
と一言。
そして三田に
おまえは日本人のゴミだ。
と捨てゼリフを残したちさる。
日本人としてよく言ってくれたという感じだ。
思えば、ブルースリーの精武門で描かれる日本人は、芸者と乱交パーティやってるような最低の描かれ方だったし、その後ジェットリー映画、精武英雄の日本人は渡辺という空手家だが、勝つためならなんでもする残酷な殺し屋みたいだった。おそらくその時その時の中国人の日本人観を反映しているのではないかと思うが、それにしてもひどすぎた。
今回なぜ急に日本人をよく描いたのか不明だが、それだけでも大満足だった。
あと昨日の芸能ニュースで、ジェットリーが、この映画が最後と言ったのは、いつも気持ちの上でこれが最後のつもりで演じているという意味で言ったんだ、と説明していた。おそらく、宣伝効果を狙ってのものだろうが、やはりファンとしてはこれが最後じゃなくてよかったと胸を撫でおろしているところです。
新年の願い-心意門の獅子舞新年快乐!恭喜发财!
昨日、(徐夕)大晦日の夜から凄まじい爆竹の音、音、音!
上海市民の、邪を破り魔を除くという清らかな思いと、新年への希望の音だ。
毎年、ウルサイとは思いながらも中国に残った少ない伝統行事を味わっていた。
しかし今年は、傍らに生まれて1カ月ほどの息子がおり、深夜1時まで続くこのあまりの騒音に赤ちゃんの柔らかい脳に影響がないかと冷やひやし、安眠を妨げる。
いつもの微笑ましい伝統行事が悪魔の所行に変る時
色不異空
受想行識、亦復如是
すべての存在や現象には実体がない
という仏典の一節が思い出された。どんなものでも、条件が変れば自分にとっての意味も変ってしまうということを言っているようだ。
3年前、香港在住時の春節を思い出す。香港では爆竹を深夜に鳴らすことはなかったが、各武術門派が自門派の縄張りに幟を立て、自門派の獅子舞で香港中を練り歩いていた。 それはジェットリー映画、黄飛鸿シリーズの世界が現代に甦ったかのようだった。近代的なオフィスと数千年の歴史が織り成す不思議な風景がいまだに忘れられない。
以下は香港時代に書いたコラムです。
『香港在住時のある春節,一歩門を出ると「蔡李佛」と書かれた幟(のぼり)が立ち並んでいた。
蔡李佛とは、香港4大武術門派のひとつで、蔡家拳、李家拳、佛家拳の長所を合わせたという意味だ。 以前、蔡李佛拳の若者が詠春拳を使うレスリー・チャン(張国栄)と闘う映画をみたのを思いだした。最初、広いディスコでの闘いは距離を取っての戦闘を得意とする蔡李佛拳が優勢だったが、レスリー・チャンが相手をトイレに誘い込み、接近戦を得意とする詠春拳が逆転勝利するというものだった。こういうストーリー設定が可能なのは、それだけ中国の武術の特徴が門派ごとに鮮明で、多くの人が知っているということが前提にあるのだろう。 中国本土では表演武術に圧され気味の伝統武術が、当地で大手を振って闊歩しているのは実に頼もしい。』 いつか上海の淮海路に心意門の幟を立て、心意門の獅子舞で練り歩くことを新年の願いとしよう!
25 January 心意門とハイデッガー-同一ではないが同じもの上海心意六合拳を学ぶ過程で、心意拳には多くの種類があることに気がつきました。
山西省に起原を持つ心意拳は最初、河南省にもたらされました。当地で保镖(ボディーガード)を生業とされていた盧嵩高師が1900年代初頭、上海に移住され、上海に初めて心意拳がもたらされました。
そんなわけで、心意拳は現在、山西省、河南省、上海市のものの3種類に大別できるようです。盧嵩高には、解興邦、孫少甫、于化龍の3大弟子がおり、さらに種類が増えました。
私は河南派のものと孫少甫系、于化龍系を目にする機会がありました。同じ技でも系統により全然違う動きをすることに気がつきました。特に、夜馬奔槽が我々の解興邦系が掌心を上に向けるのに対し、孫系は下に向けます。伝承の過程で継承者のレベルや理解力の差などで間違いが生じるのではないかと思い、師に尋ねると
いやあれは間違いではない
と言います。そして
基本原理を守っていれば、表面上の動きが違っていても勁道は変らない
と説明されました。
その時は分かったような分からないような感じでしたが、その後、ハイデッガーの同じさ(Selbigkeit)と同一性(Gleichheit)の違いを思い出しました。つまりひとたび妥当した真理や真の価値は常に妥当するが,歴史の新しい状況の中で常にあらたに現在化されねばならない,ということです。真実は歴史の中で常に同一ではないが同じものです。
24 January cofee beans and tea leaf-福州路の喫茶店で以前、福州路の逸夫舞台の向いにあるcofee beans and tea leaf という喫茶店に行きました。どうやら欧米系の利用者が多いらしく,置いてある雑誌も英字のものばかりでした。暇潰しにoriginal gangsterという英字雑誌を見ていると,中山公園の武当派拳法の話が載ってました(勿論,英語です)。日本語の雑誌ではこういう武術系のニュースは見たことがなかったため,新鮮でした。またshaolin soulという記事では詳しい少林魂の紹介をしてます。少年の演武写真も一緒です。
じつは中山公園に武当派が練拳をやってるなど初耳で,同雑誌の記者の慧眼に一目置いてしまいました。欧米の記者の方が武術通が多いということかもしれません。今度機会があれば中山公園に武当派を見に行きます。
そういえば最近、台湾で八卦拳をやった人が出版した本に、太極拳の源流は陳家溝ではなく武当山の張三豊だとか書いてました。真実は一体どっちなんでしょう? 22 January 老子と赤ちゃん-武術の中に生きるタオいま、民間武術のひとつ、心意六合拳を学んでいる。道場はなく、公園でやっている。最初、部屋を借りる金がないからしかたなく公園の一角でやっているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
屋外なので雨が降れば当然練習は休み。排打功という身体をものに打ちつける訓練では樹木を相手に行ない、歩法の練習も立ち並ぶ樹木を利用する。練習は土の上で行ない、コンクリートを避ける。とにかく自然に従い、自然を利用するというのが基本コンセプトだ。
数年練習するうちに、武術を通じ自然の存在感のようなものを感じ出した。同時に、この感覚を自然というコトバで表現するのは適切でないように思い始め、ある日老子の道という概念を思い出した。
老子は春秋戦国時代の思想家だが、伝説上の人物とされている。道徳経という著作があり、その中で道という概念が重要視されている。難解だが、象や玉などの譬喩を使い分りやすく解説している。
その中に赤ちゃんの譬えがあった。
含徳之厚、比於赤子
徳をどれだけ含んでいるか、それは赤ちゃんを基準に見たらいい
毒虫不蟄、猛獣不拠、穫鳥不博
害虫も猛獣も猛禽も赤ちゃんを刺したり襲ったりしない
未知牝牡之合而全作、精之至也
セックスを知らないのに陽物が固くなるのは精が極端に満ちているから
終日号而不嗄、和之至也
一日中泣き喚いても声が嗄れないのは調和が極端にできているからだ
(老子道徳経 第五十五章)
この一日中泣いても声が嗄れない、というのは本当のようだ。うちの赤ちゃんは生まれたばかりの頃、すくなくとも一日の半分は泣いていたが声が嗄れることはなかった。
今後はわが子を見ながら道を学ぶことになるかもしれないかな?
写真は盧式心意六合拳第四代伝人、呉秋亭師の迎門鉄臂 |
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