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July 19 決別の詩-漢楽府の白頭吟前回、漢楽府といういわゆる古詩と呼ばれているものをご紹介しました。前回の江南ではやたら同じ語を繰返して、表現技法とかは稚拙な感じがします。けど本音というか気持ちとかはその後の唐詩などと比べてストレートで好きです。以前は別れた夫婦が偶然出逢うという古詩を紹介しました。今回は若い男女の別れの古詩です。
白頭吟
皑如山上雪 皎若雲間月
聞君有両意 故来相決絶
今日斗酒会 明旦溝水頭
躞蹀御溝上 溝水東西流
凄凄復凄凄 嫁娶不須啼
願得一心人 白頭不相離
竹竿何袅袅 魚尾何シシ
男児重意気 何用銭刀為
山上の雪のように透明で 雲間の月のように白く
あなたに新しい女ができたと聞き 別れのために来たわ
今日最後の酒を酌み交し 明日は河口で別れましょ
河口辺りで逡巡し 最後はそれぞれ東と西に
悲しい悲しい でも結婚は苦しみと限らない
一途な人と結ばれて 二人が白髪になるまで離れずにいたい
釣竿が風に軽く靡き 魚の尾が揺らぐ
真心の男は情を重んじ それは金では買えない
唐詩とかにはない生臭さ、人間臭さを強く感じさせられる詩です。彼氏に新しい女ができ別れ話を切出す女の詩です。結婚は苦しみと限らない、いい人に巡り会えれば大丈夫という女性の悲痛な叫びが聞こえてきそうです。
July 05 七夕の詩-古詩十九首 気付いたら明後日は七夕だ。子供の頃、裏山から竹を取って来て短冊に願い事を書いたっけ。いつのころからかやらなくなったが今頃になってまたやりたくなった。今となっては当時短冊に何を書いたか思い出せないが、それでもわくわくしながらハサミとノリを使い準備したのを憶えている。
迢迢牽牛星
迢迢牽牛星 遥かなる牽牛星
皎皎河漢女 輝く織女星
繊繊擢素手 たおやかな手で
扎扎弄机杼。 機を織っているが
終日不成章 何一つ織ることはできず
泣涕零如雨。 涙が雨のように降りそそぐ。
河漢清且浅 銀河は清く浅い
相去復幾許? 二人はどれほど離れているのだろう?
盈盈一水間 互いの間には河があり
脈脈不得語。 話すこともままならない
これは古詩十九首という東漢(25-220)の時代に書かれた詩の一つ。おそらく最古の七夕の詩かもしれない。
現代中国にはもうこの風習は残ってないようだ。中国にかつて存在したものが日本に伝わり、中国では絶えてしまい日本で綿々と継承されているものは結構多い。有名なところでは空海が伝えた真言密教も現在、中国では滅んでしまった。呉服や畳、寿司などももとは中国から日本に伝わり中国ではなくなってしまった。
幼女詞
施肩吾
幼女才六歳
未知巧与拙
向夜在堂前
学人拝新月
六歳になったばかりの少女
まだ何もわからないのに
宵闇に堂の前で
大人の真似をして新月を拝んでいる
これは唐詩のひとつ。夕暮れ時、月を拝む大人たちを見て真似をするひとりの少女。この詩から当時は月を拝む習慣があったらしいことが伺いしれる。こういう習慣は今の中国はおろか日本にも伝ってないようだ。もしかしたら中秋の名月を賞でる月見の原型かもしれない。
July 03 教育雑記-孟母三遷裏門をでて左に真直ぐ歩くと祥徳路に出る。そこを右に曲がりすぐの所に果物屋がある。1、2年前に生まれた男の子が早いものでもう元気に歩き回り両親を手伝ってるような素振りだ(手伝ってるのか邪魔しているのか外部の私には定かではないが)。祥徳路沿いにある小店は地方出身者が開いたものが多い。おそらくこの子とかは学校に進学せずずっとこの果物屋を手伝いながら成長するのかもしれない。
四時田園雑興
範成大
昼出耕田夜績麻 村荘児女各当家 童孫未解供耕織 也傍桑陰学植瓜
昼は田を耕し夜は麻を織る 村の子供も家の主人のよう まだ田植えや織物はできないけど そばの桑の下で瓜を植えている
農村の子供が親の真似をして瓜を植えているという詩。中国に孟母三遷というコトワザがあるがこれは孟子の母が子供の教育を考えて3回引越したという意味。つまり子供の教育にはそれほど環境の影響が大きいというわけだ。子供の親としてYOのためにどのような環境を提供してやるべきか。考えさせられた。 June 29 孤児が行く-もうひとつの上海この間、夕方に小区内の公園にYOを連れて遊びに行った。この時間は幼子を抱えた両親がよく集まる。また2-3歳ぐらいの大きい子も元気に駆け回っている。その中でひとりの男の子が私の注意を引いた。小区の住人にしては着ている服が汚いし、皮膚も日焼けなのか汚れなのか判別できないほど黒い。注意して見ていると動きも敏捷でまた遊具から落ちても泣くことなくケロっとしている。話好きの老人の話では、どうやらその子の両親が2年前に蒸発したらしい。それからはその子の祖父がその子の面倒をみているという。4歳という。両親のいない環境で過ごして来たその子の境遇を思うと可哀想でしょうがない。
孤児行
孤児生、孤児遇生、命独当苦
父母在時、乗堅車、駕驷車
父母已去、兄嫂令我行贾
南到九江、東到斉与鲁。
腊月来帰、不敢自言苦。
頭多虮虱、面目多埃。
大兄言弁飯、大嫂言視馬。
上高堂、行取殿下堂
孤児涙下如雨。
孤児が行く
孤児に生まれるのは最高に苦しい
父母がいた頃は四頭馬が引く堅牢な車に乗ったのに
父母が死ぬと兄とその嫁が幼い私を行商に行かせる
南は九江、東は斉や鲁まで。
年末の寒さが厳しい時も苦しみを聞いてくれる相手もいない
頭には虱がわき、顔中ホコリだらけ。
兄は食事の準備をしろと言い、兄嫁は馬を見てこいと言う。
さっき部屋に上がったばかりなのにまた急いで部屋を出る
雨のような涙が溢れる
これは漢楽賦という漢代に孤児が書いた詩。昔もいまも変らないなあと思う。近所のその子も苛酷な生活を通じいやでも強くしたたかにならざるをえなかったのだろう。拡大する賃金格差のせいで地方人は上海などの沿海地区に殺到する。なんとか上海に来れても生活難のため子を棄て妻を棄て上海を離れる人もいる。最近、用事で虹橋などの外国人居住区に何度か行ったが、その際感じたのは私が邦人と現地人のボーダーに位置していることだ。私は普通の邦人の方が見ることのできない事象に触れる位置におり、これからもそういう発展を続ける上海の裏側を見るのだろう。 June 11 海南島の昔と今日系企業時代に知り合ったOさんは毎年1回、海南島にヴァカンスに行くらしい。そういえば知り合いで海南島で休日を過ごす人が多いようだ。リゾートのための設備も多くいい場所らしい。かく言う私はまだ行ったことがないが来年の夏は家族3人ででも行こうかな^^
海南島を詠った詩がないか見たらこんな詩があった。
澄邁駅通潮閣
蘇轼
余生欲老海南村
帝遺巫陽招我魂
踏踏天低鹘没処
青山一髪是中原
余生はこの最果ての地、海南島で老いさらばえていくようだ
死の際はきっと天帝が仙女の巫陽を遣わして私の魂を迎えに来るだろう
その時、遠くに隼が消え
髪の毛のように細くなった青山が見える。あれは私があれほど帰りたかった中原の地だ
これは 蘇轼が朝廷で本当の事を話したため高級官僚を怒らせ、最果ての地、海南島に流された時に詠った詩。中原に帰れる希望を諦めた悲愴感が漂っている。こういう詩を見るたびに世の無常を感じる。そういえば深センもつい数十年前は人口わずか数千人の漁村だったらしい。香港も阿片戦争でイギリスに取られる前は名もない田舎町だったという。
June 01 風-虫のささやき風になりたい。風の透明感と自由さが私にそう思わせた。だから上海の風なんて名前をつけた。プロフィールには詩経からとったと書いているが、それは理由の半分ぐらい。
風の原義は虫たちのささやき声という意味だそうだ。
風
李峤
解落三秋葉
能開二月花
過江千尺浪
入竹万竿斜
秋、黄色くなった枯葉を吹き飛ばし
春、真っ赤な花を開かせ
河に数百メートルもの波を起こし
竹林に入れば無数の竹を傾ける
この詩からは古代人の自然観がうかがえる。風の持つ大きな力への畏怖のようなものも感じる。
May 31 いい雨の条件-春の夜は雨を喜ぶ(杜甫)先週は雨が多かった。上海ではまだ舗装されていない道路も多いため雨が降ると抜かるんで大変だ。足もズボンもどろまみれになる。だが雨が降ることで生命は助けられている。子供の頃よく、一番いい雨は夜間降って夜明け前にはやみ、朝外に出た時、初めて昨晩雨が降ったことに気がつくというそんな雨だろうと考えた。そんな人間に都合のいい雨などあるはずないが中国古代に同じことを考えた人がいたらしい。
春夜喜雨
杜甫
好雨知時節
当春乃発生
随風潜入夜
潤物細無声
いい雨は降るべき時を知っている
春になると自然に生まれ
風とともに夜秘かに降り
音も無く万物を潤す
杜甫は詩聖と呼ばれ、李白は詩仙と呼ばれる。杜甫の詩は詩史とも言われ、唐の時代に生きる庶民の厳しい現実を描いている。この詩からも杜甫の優しさが感じられるようだ。
May 26 外国に長期住むこと-人面不知何処去中国に長く住み辛いことのひとつは知り合った日本人との別れ。留学生時代は卒業と同時に皆、帰国したり別の場所に就職したりし離ればなれになってしまう。就職しても仲良くなった人が駐在員の場合、任期の2年が過ぎると日本に戻ってしまう。また気の合う人とはなかなか廻り会えなかったりもする。そのうち人と付き合う事自体が億劫に感じたりもした。
今日お昼頃、気ばらしに散歩すると桃が出回り始めたのを見かけた。桃は大好きで、毎年桃がある季節中食べまっくている。
題都城南荘
崔護
去年今日此門中
人面桃花相映紅
人面不知何処去
桃花依旧笑春風
去年の今日、この門の中で
美しい彼女が桃の花の間から私に微笑んでいた
今年、彼女はどこに行ったのか知らないが
桃の花は変らず春風に微笑んでいる
崔護は唐代の詩人です。
May 24 嫁の顔と母の顔-遊子吟昨晩、夜中に目を醒ますと嫁さんがベッドの端に座り何やら縫物をやっている。どうやらYOのズボンを縫っているようだ。既製服の股の部分を切り取って開裆裤にしたいらしい。開裆裤とは中国特有の幼児用のズボン。オムツが交換しやすいように股の部分が大きく開いている。彼女は私から見たらいつまでたっても嫁さんでしかないが、今回初めて母親の一面を垣間見たような思いだ。
遊子吟
孟郊
慈母手中線
遊子身上衣
臨行密密縫
意恐遅遅帰
誰言寸草心
報得三春晖
優しい母が縫うものは
遠出する息子の衣服
しっかりときつ目に縫うのは
次ぎにいつ帰れるか分からないから
草が
太陽の恵みにどう恩返しできようか?
遊子とは古代中国語で、遠方の地へ仕事で行く者のことです。
May 22 中国人よ!-相煎何太急中国で暮らすようになりトータルで7年になろうとしている。2回ほど中国企業で働く機会があったが2回ともトラブルがあった。1回目の職場では全社員11人のうち中国人は9人、日本人が2人。もう一人の日本人は女性だった。この女性は毎週必ず中国人社員ともめていた。彼女がもめると私が必ず仲裁にかりだされる。そうこうしているうちに私まで中国人との関係が悪化してきた。試用期間中に辞めることにしたが辞めるなら私の名前を機関紙で発表しなければならないという嘘を言って脅迫されたりもした。さすがにこのときは精神疲労で倒れてしまった。同時に中国人の恐ろしさを初めて知った。
中国人と日本人の考え方の違いもあるが、中国人は自己の利益のためなら他人が犠牲になるのは当然という考えがあるかもしれない。特に日本人は善良なのでそこにつけこんでいると感じる時もある。
七歩詩
曹植
煮豆燃豆箕
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急
豆を煮るのに豆がらを燃やす
豆が釜の中で泣いている
元々同じ根から出た兄弟なのに
なぜ互いに争うのか?
これは曹操が死んだ後、曹操の息子たちによる帝位争いの際のエピソード。長男の曹丕はライバルの弟、曹植を連れて来て殺そうとする。母親が仲裁に入り、曹丕は曹植が七歩歩くうちに詩を書いたなら殺さないで逃がしてやるという条件を出す。その時、曹植が詠んだ詩がこれ。
日本の文字も言葉も、生活様式、建築物などほとんど全ての文化は中国から来たものだ。日本人と中国人はある意味、兄弟以上の関係と言えるだろう。日本人に敵意を燃やす中国人がまだいたら、本是同根生、相煎何太急と言ってやりたい。 May 10 唐詩版“ケセラセラ”-明日愁来明日愁最近はすこし生活に変化があり、書き込みのペースが落ちました。今後も、週1回か2回ぐらいになるかもしれません。
徒然に本を読んでいたら面白い唐詩があった。
自遺
羅隠
得即高歌失即休
多愁多恨亦悠悠
今朝有酒今朝酔
明日愁来明日愁
得意の時は高らかに歌い、失意の時は深く考えない
心に悩みをしまい込むのは本当に苦しいものだ
今日、酒があったら心行くまで痛飲し
明日のことは明日悩めばいい
唐詩って高尚だとか難しいという先入観があるかと思いますが、こんなに心に優しい詩もあるんですね。これからは落ち込んだ時はこの詩を口ずさむかな!
注:羅隠(833-909)。唐代の詩人。
May 02 父母の帰国今朝、日本へ帰る父母を見送って来た。昨日はささやかな送別会を開いた。場所は以前、覇王別姫というすっぽん料理を紹介した一茶一座という台湾レストラン。日本企業時代、送別会には何度も参加したが半分義務感みたいなものがあったことは否めなかった。一緒に酒を飲み交して楽しいと思える人は少ない。
客中作
李白
蘭陵美酒郁金香
玉碗盛来琥珀光
但使主人能酔客
不知何処是他郷
旅先で
蘭陵の美酒、郁金香を
玉碗に注ぐとまるで琥珀のように輝く
店主がこんな素晴らしい酒を出すものだから
ここが異郷の地というのも忘れるほど飲んでしまった
昨日父と飲んだのはただの青島ビールだったがなぜかいつもの何倍も美味かった。
注:蘭陵は現在の山東省棗荘市。郁金香は現代ではチューリップという意味ですがここでは単に香草の意味で使われています。チューリップがこの唐の時代にあるはずないですね。
April 14 夕陽無限好-限り無く素晴らしい老境来週日本から両親がYOに会いに来る。初顔合せ。凄く楽しみにしているようだ。父は定年退職して10年あまりになるが、その間中国留学や世界旅行、マラソンなど非常に充実した生活を送っているようだ。母もそんな父といるだけで幸せそう。
楽遊原
李商隠
向晩意不適
駆車登古原
夕陽無限好
只是近黄昏
夕方、気分がすぐれず
車に乗り楽遊原に気晴らしに行った
夕陽は限り無く素晴らしい
ただ日暮れが近い
後半二句は中国ではよくことわざのように言い習わされており、充実した素晴らしい老境のことを賛えて使われている。 父母の事を思うたびに必ずこの夕陽無限好、 只是近黄昏が思い浮かぶ。
注:李商隠(812-858)。晩唐の詩人。生涯を落魄の中に送る。
April 10 春の宵は房事に励め-解釈の日中差?4月も中旬に差しかかり過ごしやすくなって来た。外出時も軽装でよくなった。特別なイベントがなくても、うららかな春風の中を歩くだけで清々しい気持ちになれる。昨日、嫁さんと歩きながら自然に口を突いて出たのは蘇轼の有名な春宵という詩だ。
春宵
蘇轼
春宵一刻値千金
花有清香月有陰 歌管楼台声細細 鞦韆院落夜沈沈 春の宵は一刻が千金にも等しい
花は香り、月が照らし
楼台に歌声が微かに響き
庭でぶらんこに乗りながら夜が更けていく
この詩を口ずさんでいたら、嫁さんが苦笑している。詩の特に最初の一句、 春宵一刻値千金を、私は単純に春の夜は気持ちがいいとかそんな風に解釈してたがどうやら違うらしい。普通、中国人は春宵一刻値千金を房事に励もう、という風に解釈しているらしい。それは知らなかった。嫁さんにはゆめゆめ誤解しないでほしいものだ^w^
そう言えば、ぶらんこが古代中国では房事のアクセサリーとして使われるという話を聞いたことがある。詩の歌声が微かに響く、という箇所もまさか喘ぎ声?
うーん、日本にもこの詩は伝わっていると思うが、一体日本ではどういう解釈なんだろう?中国で中国人と住んでなかったらこの解釈に気付かなかったかもしれない。
日本人が誤訳している中国詩、結構あるらしい。前、ご紹介した 蘇轼の水調歌頭の、何似在人間の部分が、中国人は普通、月宮に行って一人で踊っても、人間界の賑やかさには敵わないとしているのに、日本語訳では、天界には敵わない、となってるものがあって意味不明になってたりしてた。そもそも日本の中国詩って漢文訓読ばかりで、日本語に訳されたものが少ないようだ。
April 08 人間臭い漢代の詩—上山采蘼蕪最近よく中国古代の詩集を読んでいる。普通、日本人の方が中国の詩と聞き連想されるのは、月や花、のどかな田園風景、愛情、山水、季節の変化といったところだと思う。だがそれ以外にも人間臭い詩がある。
上山采蘼蕪
上山采蘼蕪、下山逢故夫
長跪問故夫、‘新人復何如?’
‘新人虽言好’未若故人姝
顔色類相似、手爪不相如
新人従門入、故人従閣去
新人工織缣、故人工織素
織缣日一匹、織素五丈余
将缣来比素、新人不如故
山に登り香草を摘み、下山の途上で前夫に逢った
跪いて前夫に‘新しい奥さんはどうですか?’と尋ねた
前夫は‘新しい嫁は顔は美しいが、おまえには及ばないよ’と答えた
容貌や肌の色は大して変らないが、家事などでは前妻には敵わない
新しい嫁は正門から入り、前妻は裏から淋しく出て行った
新しい嫁は黄絹を織るのが得意で、前妻は白絹を織るのが得意だった
黄絹は日に四丈しか織れないのに、白絹は日に五丈余織ることができた
黄絹と白絹を比べたら、やはり新しい嫁はおまえには敵わない
これは山に香料の原料となる草を摘みに行った女性が偶然ばったり別れた夫と鉢合せした時の会話。別れた前夫に跪くなど当時の女性の地位の低さが書かれている。この詩からは若い女性と再婚して後悔している男の気持ちが伝わってくる。
注:この詩は漢代のもので、作者名は不明です。
April 04 明日の歌-明日の後にまた明日最近いろいろな事が起き、今日も若干疲れ気味。ブログを書こうかどうしようかかなり迷ったが、さすがに今まで毎日続けて来たのでやはり書くことにした。書きたいことは多いのだが、今日はそれを書く気力がない。
古代の詩集を見ていたら面白い詩があった。紹介します。
明日歌
文嘉
明日復明日
明日何其多!
我生待明日
万事成蹉跎
世人苦被明日累
春去秋来老将至
朝看東流水
暮看西日墜
百年明日能幾何?
請君聴我明日歌
明日の歌
明日の後にまた明日
明日はなんて多いんだ!
私はどんな事でもいつも明日やろうとしているから
何も為し遂げる事がない
“明日やろう”というこの言葉にどれだけの人が苦しめられて来たのだろう
春が去り秋になっても明日は永遠にあるが、人はその時はもう老いている
朝、河水が東に流れるのを見て、夕方、太陽が沈むのを見る
君がもし百歳まで生きるとして、明日は一体いくつある?
君がもしまだ分からないなら、私のこの明日の歌を聞いてください。
この感覚は現代にも通用する感じだ。今日やれることを明日に回すな、とかいう意味だと思う。実は私もこの詩を思い出して、今日もブログを書くことにしました^w^
注:文嘉(1501-1583)。明朝の詩人。
April 03 老朋友が来る-寒梅着花未?一昨年、虹口公園にある私達の心意六合拳の練習場で一人の日本人と知り合った。話を聞くと、どうやら彼は日本にいた頃から心意拳をやっていたらしい。そして彼の師の紹介でここに来たという。当時は上海外国語大学に留学していた。同門の日本人の修行者は私が知る限りこれで3人になった。私は彼に収勢を見せ、彼は私に虎撲(だったと思う)を見せてくれた。同じ門内の武術でも師が違うと技もかなり変化しているように感じた。彼の系統は少々硬い感じで、我々のは柔かい感じだった。
彼はたまに私の家に遊びに来たりして交流を続けていたが、留学期間が終わり日本に帰国した。最近彼から連絡があり、彼が働いている会社が彼を上海駐在員として派遣することになり5月に上海に戻れるという。嬉しそうな彼の顔が目に浮かんだ。私も少ない日本人の武術仲間が増えるので嬉しい。
雑詩
王維
君自故郷来
応知故郷事
来日綺窓前
寒梅着花未?
君は私の故郷から来たそうだね
それなら故郷の事を知っているはずだ
私が故郷を離れた時の我が家の窓の前にあった
梅は開花したのかな?
王維の同郷人が彼に会いに来た時、王維はあまりの嬉しさから、王維が故郷を離れる頃、まだツボミだった彼の家の前の梅の花はもう咲いたか?とその友人に尋ねている。おそらく王維が故郷を離れてから何年もの歳月が流れており、そその友人がそんなこと知るはずもないのに尋ねる王維。
私の友人が上海に戻ったら私も夢中になって日本の中国武術の状況を尋ねるだろうな。いや逆に彼が私に彼の第二の故郷である上海の変化を尋ねるかもしれないな^^
注:王維(701-761)。盛唐の詩人。孟浩然とともに王孟と呼ばれる。晩年に禅に凝り、詩仏と呼ばれる。
March 30 碩鼠(ネズミ)とユートピア昨日、ネットテレビの恐怖チャンネルで恐ろしいドラマを見てしまった。女子校生54人がプラットホームから飛び降り自殺するという強烈なインパクトのあるドラマ(もちろんフィクションです)。その後、冒頭のこのシーンを超えるものはなかった。永瀬敏行が主役をやってたが冒頭のこの強烈なシーンのせいで印象が薄くなってる気がした。そういえば今朝がたニュースで小学3年生の男の子がマンションから突き落とされて死んだというのをやっていた。いいニュースが少ないなあ。世の中が暗い。
ユートピアという言葉が思い出された。イギリスの思想家のトマスモア(1478-1535)の作品でもあり、彼の造語でもあるこの言葉は今では理想郷という意味で使われるが、もともとはギリシャ語のUtopiaどこにもない場所という意味だった。
碩鼠
碩鼠碩鼠、別食我黍
三歳貫女、莫我肯顧
逝将去女、適彼楽土
楽土楽土、爰得我所
ネズミよネズミ、私の食糧を食べないでおくれ
長年養なってやったのに、おまえはまだ逆らうのか
おまえを捨ててユートピアに行こう
ユートピアよユートピア、そこにこそ私の幸せがあるのだ
中国最古の詩集、詩経の魏の風で詠われる理想郷への希求。これは中国初のユートピアを求める理想主義の詩だ。ネズミとは支配者階級のことで、要するに掠奪するばかりの支配者階級を皮肉った詩。
この3000年も前に書かれた詩は現代人の叫びのようにも聞こえる。科学技術が発展した現代においてもユートピアは探せないでいる。人間の幸せというものが科学の発展とは無関係ということなのかもしれない。
March 16 相思相愛という名の豆-相思子中国に来て食習慣が変った。日本では毎朝、必ずご飯と納豆、味噌汁を欠かしたことがなかったが、今では毎朝、豆乳、ユデタマゴ、豆沙包(アンマン)の組合せだ。最初の頃は豆乳や豆沙包が不衛生に思えたり、量的にも物足りない感じがしたものだが知らないうちに慣れてしまった。いつも例の芭芘饅頭屋で買っている。
子供の頃から大の甘党で、甘いものに目がなく、今では逆に毎朝、平気で豆沙包を食べるようになった私を家人が呆れ顔で見ている。また豆沙包を食べながら、幼い頃、母が作ってくれたゼンザイを懐かしく思い出したりもする。
ある日嫁さんが、豆沙包に入っているアンコの原料である小豆(紅豆)は別名、相思豆ともいうと教えてくれた。そして中国では古来から紅豆が友情と愛情の象徴となっているという。理由を尋ねるがそこまでは知らないらしい。自分で調べてみた。
要するに、
1、小豆の赤い色は中国人にとって非常に縁起のいい色で、特にお祝いの席で使われる点
2、丸い形状が円満(夫婦円満)という意味に通じる点
などからいつしか友情、愛情のシンボルとして使われるようになったらしい。
相思
王維(注)
紅豆生南国
春来発幾枝?
願君多採撷
此物最相思
南国にあるという紅豆の樹
春になり、いくつの実が成っただろう?
君にたくさん採って欲しいものだ
たくさんの紅豆が君に遠く離れた所に住む友人の私を思わせるように
この詩は王維が南方の友人に贈った詩。紅豆で友人への思いを詠う。面白いのは後世の人たちはずっとこの詩を女性への思慕の気持ちを詠ったものと勘違いしてた点だ。こういう事ってよくあるらしい。情人節(バレンタインデー)にチョコを贈るより紅豆を贈った方がいいかもなどと考えてしまう^^
注:王維(701頃-761)は盛唐の詩人。幼い頃から多芸多才で有名で尚書右丞にまで昇進する。詩は山水自然を詠ったものが多い。孟浩然とともに、王孟と並称される。晩年、禅に帰依し詩仏と呼ばれた。
March 15 蔵秘庵(枇杷潤喉糖)-枇杷不是这琵琶最近、若干ノドの調子がおかしい。YOのために1日中空調を全開にしているせいだろう。しかたないのでカルフールで加湿器を購入した。あと毎日、Watsonsで買ったチベット医学ノドアメ(蔵秘庵)も舐めている。そのせいか少しよくなったようだ。枇杷がノドにいいとは知らなかった。枇杷と言えば長崎の実家の裏山に登って採ってきた駕籠いっぱいの枇杷を毎年食べていたのを思い出す。
中国で読んだ本に枇杷に関するこんな小詩があるので紹介します。
明の時代、屠龍と莫是龍という2人の文人が一緒に友人の袁さんの家に遊びに行った。袁さんはお盆いっぱいの枇杷で彼らをもてなした。屠龍がふと見ると、お盆に盛られた枇杷の上に
琵琶一盤
と書かれた紙があるのに気がつく。吹き出しながら、莫是龍に見せると彼も笑い出した。字を書いた者は枇杷を琵琶と書き間違ったようだ。琵琶は楽器だ。食べられるはずがない。袁さんは2人が笑っているのを見て
什么事这么开心呀?
何がそんなに楽しいのかな?
と尋ねると、莫是龍が枇杷の上の紙を指しながら
枇杷不是这琵琶
枇杷はこの琵琶ではないでしょう
と詩の第一句を詠い出した。
一目見て自分の書き間違いに気がついた袁さんも
只恨当年識字差
うっかり書き間違ってしまった
と詩の第二句を続ける。
莫是龍は枇杷を食べながら、後の二句を詠んだ。
若使琵琶能結果
満城簫管尽開花
もしも琵琶に実が成るのなら
町中の楽器に花が咲くだろう
その後、この書き間違いを諷刺した小詩が世に広まった。
現代中国語でも、枇杷と琵琶の発音が全く同じです。どちらもpi2pa2です。日本語でもどちらも、びわという発音だし、こういうのって珍しいですね^^
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