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    September 01

    総相宜服飾-西湖と西施

    昨日、夜遅くタクシーで大連西路を通って家路を急いでいると、車窓から見える服飾店の看板が目に止った。総相宜服飾店と書かれている。なるほど面白い。じつは総相宜とはこれも西湖を詠った詩の一句。だからよく憶えていたわけだ。
     
        飲湖上、初晴後雨
                             蘇轼
     
    水光潋艷晴方好
    山色空蒙雨亦奇
    欲把西湖比西子
    淡粧濃抹総相宜
     
    陽光が湖面に映える晴れもよく
    霧のカーテンに山が煙る雨も素晴らしい
    西湖はまるで西施のよう
    薄化粧でも厚化粧でもとにかく美しい
     
    この詩は非常に有名で、私が最初に憶えた西湖の詩がこれ。特に後半の二句を皆ことわざみたいに口づさんでいる。上の服飾店はこの詩の総相宜を借りることで、うちなら薄化粧でも厚化粧でもキレイにできますよとでもいいたいのだろう。服飾店の名前にまで使われていることからみても、この詩がいかに多くの人に知られているか分かるだろう。
     
    注:西施は中国四大美人の一人。春秋時代の越人。四大美人にはあと楊貴妃、貂禅、王昭君がいる。
     
    August 18

    杭州西湖の気になるレストラン-楼外楼

    今まで杭州に2回行ったが見る所が多すぎて行けなかった場所に老舗レストランの楼外楼がある。この店の名前は南宋の詩人、林升の詩から採ったという。
     
    題臨安邸
                 林升
    山外青山楼外楼
    西湖歌舞几時休
    暖風燻得遊人酔
    直把杭州作卞州!
     
    臨安の旅館にて
     
    山の外にも山があり、建物の外にまた建物が並ぶ
    西湖のバカ騒ぎはいつ終わるのだろう
    暖かい風に吹かれほろ酔い気分になり
    皆杭州を故郷と思ってるようだ!
     
    宋朝が異民族の金に侵略されたため皇帝は南方に逃れ杭州(臨安)を首都にし南宋を建てた。林升も南方に逃がれて来た。悲愴な気持ちで逃れて来た杭州には山が連なり建物がたち並び、皇帝や大臣たちは終日歌や踊りに夢中だった。一体いつになったら国家の大事に取り掛かるのか?嘆く林升の悲痛な叫びが伝わってくる。皇帝よ!金に逐われ逃れて来たここ(杭州)でも前と同じ過ちを繰返すのですか?と。
     
    この老舗レストラン楼外楼は清朝の頃始まったらしい。結構評判がいい。解説ではこの詩は杭州のある旅館の壁に書かれたとあるが、それがどの旅館かまでは不明です。もしかしたらもう今はないかも。それを探すのも面白いですね^^レストランの名前にまで歴史が宿る杭州はいいですね^^
     
     
     
     
     
    August 17

    続九月に西湖へ行くのなら-杭州人は月が嫌い?

    昨日ご紹介した張岱の名文、西湖七月半の続きです。
     
    杭人遊湖、巳出酉帰、避月如仇。
    杭州人の西湖遊びは午前9時から11時頃始まり、夕方5時から7時頃には帰途に着く。月をまるで仇のように避けている。
     
    西湖の月は有名なのに地元の杭州人は月を嫌っているとは一体どういうことなのでしょう???
    嫁さんに聞いてみても知らないみたいです。前回の杭州旅行では夜9時頃まで西湖の畔を散歩したのですが凄い人出でした。ひょっとしたらあれって皆旅行者なんでしょうか?それとも東京の人が東京タワーに昇ったことがないというようなことでしょうか。いつか杭州の人に聞いてみたいところです。
     
    是夕好名、遂隊争出、多犒門軍酒銭、矫夫撃燎、列俟岸上。一入舟、速舟子急放断橋、赶入勝会。
    夕方には名前を慕って、皆群れを成し争って門を出て、門を護る兵士を労いチップを渡し、車夫は松明を手に持ち岸に並び順番を待っている。一旦船に乗るや断橋の方の盛大な会合へと船を急がせる。
     
    以故二鼓以前、人声鼓吹、如沸如憾、如魇如呓、如聾如唖。
    午後9時前なので人々のざわめきがまるで水が沸騰したようにうるさくて耳も聞えず話しても声にならないほどだ。
     
    昔中国では鼓をたたいて時報としていたようです。午後7時-午後9時に最初の鼓をたたき午前3時-午前5時まで2時間おきに鼓をたたいたと言います。二鼓とは2回目の鼓なので午後9時-午後11時ということです。
     
    大船小船一斉凑岸、一無所見、止見篙撃篙、舟触舟、肩摩肩、面看面而已。
    大きい船も小船も一斉に接岸するので何も見えず、ただ竿と竿がぶつかり、船と船がぶつかり、肩と肩がぶつかり、顔と顔が向き合う様が見えるだけだ。
    少刻興尽、官府席散、皂隶喝道去。
    しばらくすると遊びも終り、官府の宴会もお開きになり、警護役が前で出発の号令を発す。
    轿夫叫、船上人怖以関門、灯篭火把如星、、一一镞拥而去。岸上人亦遂隊赶門、渐稀渐薄、頃刻散尽矣
    車夫がもうすぐ門が閉まるぞおと叫いて船上の人々に帰るよう促すと灯篭や松明が一列に並び星のようになりよりあつまって帰途に着くのだ。岸上にいる人々も門に急ぎ次第に減っていきすぐに誰もいなくなる。
     
    杭州人が月が嫌いというのが気になって敢えてこの文を紹介しました。また遊ぶ時間帯など杭州人の遊び方が詳細に描写されており長いですが無理に引用しました。もし杭州の方がいらしたら感想を聞きたいです^^
     
     
    August 16

    九月に西湖に行くのなら-西湖七月半

    もともと旅行嫌いの私ですが杭州というか西湖だけは例外でした。杭州の町中に突如出現する湖は衝撃的でした。また西湖に沿ったストリートの店もおしゃれで気に入ってます。上海にこんないい場所はないと思います。杭州旅行から戻っても本を読むたびに古代の文学者が詠んだ西湖の詩や散文の多さに改めて気がつきました。最近、よく古文観止という古文の名文集を読んでいますがその中にも西湖に関する散文があったので紹介します。
     
    西湖七月半、一無可看
    陰暦七月半ば(西洋暦の九月頃)の西湖には見るべきものはひとつも無い
     
    という衝撃的な一文で始まるこの散文。作者は明末清初の散文大家の張岱(注)。
     
    只可看看七月半之人
    七月半之人、以五類看之
    見るべきは七月半ばの人だけだ
    七月半ばの人は5種類に分類できる
    と続く。
     
    其一、楼船簫鼓、峨冠盛筵、灯火优渓、声光相乱、明為看月而実不見月者、看之
    第一に、豪華客船で楽人に演奏させ、照明を明明と点す華やかな一群。月見と言ってはいるが実際は月など見ていない彼らも見るに価する。
    其一、亦船亦楼、名娃閨秀、携及童娈、笑啼雑之、还坐露台、左右盼望、身在月下而実不看月者、看之
    第二に、豪華客船に乗るお嬢様が美しい僕(しもべ)を連れて笑ったりふざけて喚いたりし船のバルコニーに坐って辺りを見廻し、月下にいるのに月なんか全然見てないのも見物だ。
    其一、亦船亦声歌、名妓閑僧、浅斟低唱、弱管軽糸、竹肉相発、亦在月下、亦看月而欲人看其看月者、看之
    第三に、船に乗る芸者や僧の唱う低音と管弦楽器の弱い音が混じり合い、彼らは月も見るが人から月を見る自分を見てほしいと思っている。これもまた面白い。
    其一、不舟不車、不衫不啧、酒酔飯飽、呼群三五、跻入人叢、昭慶、断橋、鳴呼噪雑、装偽酔、唱無腔曲、月亦看、看月者亦看、不看月者亦看、而実無一看者、看之
    第四に、船にも車にも乗らず上着も着ず帽子も冠らない者たちが酒を飲み満腹で三三五五群れを成して人ごみに紛れ込み昭慶寺や断橋で騒ぎながら調子はずれの歌を唱い、月も月を見る人も、月を見ていない人も見て、その実何も見ていないという彼らも見る価値がある。
    其一、小船軽幌、浄几暖炉、茶旋煮、素瓷静、好友佳人、邀月同坐、或匿影樹下、或逃囂里湖、看月而人不見其看月之態、亦不作意看月者、看之
    第五に、小船に薄いカーテンを掛けてキレイな文机と煖房を用意しお茶を煮て白い陶器を酌み交す者たち、親友や美女を招く彼ら。ある者は樹の下に、またある者は湖で喧噪を逃れ月を見て他人に自分が月を見る様子を見せず純粋に月を見る彼らも一見の価値がある。
     
    このように清代の陰暦七月の西湖の人々の様子が詳しく書かれています。できれば現代の西湖の人々がどう変ったかをこの目で見に行きたいものです。もし今年の九月に西湖に行かれる方がいらしたら月夜の晩に上記の5種類の者たちを捜すのも一興かもしれませんね^^
     
    注:張岱(1597-1679)。绍兴の人。官僚の家に生まれるも科挙を受ける気がなく、明が滅びると浙江の山中に隠居し著述に専念する。
     
     
    May 30

    1元札の裏の西湖-三潭印月

    先週の日曜日、バスに乗り市中心部に行った。乗車料金は2元。小銭がないかポケットを探ってみるが1元硬貨1枚しかない。嫁さんが1元紙幣を手渡してくれた。たまたま1元紙幣の裏側に書かれた図案が目に入った。どこかで見たような気がする。そうだ。西湖だ!三潭印月という有名な風景だ。そういえばもうあと数日で6月。6月の西湖がいいらしい。
     
         暁出浄慈寺
         送林子方
     
                   楊万里
     
    畢竟西湖六月中
    風光不与四時同
    接天蓮葉無窮碧
    映日荷花別様紅
     
    明方、浄慈寺で林子方を送る
     
    やっぱり西湖は六月がいい
    景色もいつもと全然違う
    天につながるほどの蓮の葉は限りなく蒼く
    日に照らされた荷花は格別に赤い
     
    YOがもう少し大きくなったら絶対YOを連れて西湖に行きたい。
     
    楊万里(1127-1206)は南宋の詩人。
     
    March 20

    杭州でいちばん古いもの-良渚文明

    前回、杭州旅行ですごく行きたかったのだが行けなかった場所に良渚(余杭市)がある。良渚太湖南部に位置し、杭州駅からタクシーで1時間以上かかるらしく、他の観光日程の関係から行くのを泣く泣く断念した。
     
    ここには1936年、施更氏(元西湖博物館職員)により発見された遺跡群があり、50年に及ぶ研究でその全貌が明らかにされた。良渚遺跡の発掘と研究が進むにつれ明らかになったこと、それはBC5000年頃すでに稲作文明があったということだ。良渚は長江下流に位置する。
     
    この時代には司馬遷の史記に記載のある神農氏炎帝黄帝などが活躍した。史記では黄河一帯となっている。大禹治水という言葉があるほど、当時は洪水が頻繁に起きていた。鲧は治水工事の失敗を理由に殺される。禹は治水事業に成功し、夏王朝を作る。
     
      だが不思議にも考古学的に見ると当時、黄河一帯で洪水が起きたという形跡は見られない。
     
      逆に長江の出口ではBC2200頃から大洪水があり、当地の文明を滅ぼしてしまう。
     
      そして黄河流域の河南省辺りに良渚式の土器などが発見されている。
     
    このことから夏王朝は良渚文明の生き残りが良渚の進んだ文明を携えて北上し、河南の龍山文化圏に入ったものと考えることができる。つまり禹は治水したのではなく、良渚の住人を率いて黄河に移住したのだろう。そのことが大禹治水という伝説に形を変えたようだ。史記に記載のある盤古、神農氏、炎帝、黄帝、尧、舜の話はBC2200年以前の長江、特に良渚と考えるとつじつまが合うようだ。今度杭州に行く際は必ず良渚に行き、歴史の解釈が大きく音をたて変貌する様に立ち合いたい。そしてその地で神農氏や黄帝が耕作をし、鲧が殺され禹が良渚の人々を率いた足跡をしのびたい。
     
    追記:この説は私が考えたものではなく、1900年代入りに相次いで発見された長江一帯の遺跡、および50年にわたる遺跡の調査、研究に基づき私の中国学の恩師が研究、分析を加え発表されたもの。
     
     
    February 05

    杭州の凄いもの-潮の大逆流

    過去2回、杭州に旅行した。見ることができずに後悔しているものがある。それは銭塘江の大逆流だ。いつも旅行に行く時は旅行ガイドブックなどは見ずに、直観や気分を頼りにぶらつく。その結果、思いがけない掘り出しものを見つけることもあるし、ガイドブックにしか載ってないホットスポットを見逃すこともある。大逆流は後者だ。
    銭塘江は唐詩や宋詞の中でよく詠われており、一度は実物を見たいと思う。
     
     
                       酒泉子(注)
     
    長憶観潮
    満郭人争江上望
    来疑沧海尽成空
    万面鼓声中
    弄潮児向涛頭立
    手把紅旗旗不湿
    別来幾向夢中看
    夢覚尚心寒
     
    私はいつでもあの銭塘江の大逆流を憶い出してしまう
    市中のすべての人が我先にと争って江に押しかけ潮を待っていた
    大逆流はまるで海のすべての水がやって来たようだ
    水の音が太鼓の響きのようだ
    若者が泳いで波の上に立ち
    手に赤い旗を掲げていた
    帰ってからも何度もこの時の光景を夢に見た
    目が醒めてからも恐ろしかった
     
    いつか実物を見たいものだ
     
    注:酒泉子は宋詞のひとつです。
     
     
     
    January 27

    杭州で笑ったもの-ひざまずく秦檜

    一昨年夏、家族で杭州へ行った時、見たかったものがある。それは岳飛廟だ。
     
    岳飛(1103-1141)南宋(1127-1279)の武将。農民出身だったが武術の才能に優れ、軍の最高の地位まで昇りつめる。当時、南宋の周辺には異民族国家の金があり、敵対関係にあったが、岳飛は何度も金との戦闘で武功を建てた。最後、金との全面戦争を主張し、和平派だった宰相の秦檜(1090-1155)により投獄され殺されてしまう。その結果、1141年に金と和議が成立するも、宋帝は金に対し臣下の礼をとる、屈辱の和約だった。そのためいまでも岳飛国民的英雄で秦檜国賊扱いされている。一度は見ておきたいと思った。
     
    また岳飛には心意拳の創始者伝説もある。実際にはそういう史実はなく、伝説にすぎないが岳飛の武術と言われる子母拳と心意拳はよく似ているらしい。心意拳には10種類の動物の技があるが、子母拳にも多くの動物の技があるという。心意拳と岳飛に何か関係があったのかもしれない。
     
    岳飛廟に入り、岳飛像のある所に行くと岳飛像の前で秦檜が跪いている像がある!これには笑ってしまった。中国人の岳飛を慕う気持ちのあらわれだろう。岳飛より秦檜のことが印象に残ってしまった。
     
    現代の軍事理論では、秦檜の判断が正しく、合理的という説もある。攻撃する場合、相手の3倍の軍隊(軍事力)があってはじめて対等に戦闘ができるというからだ。またもし岳飛に南宋の全軍を率いさせ、国を出していたら、そのまま南宋に引き返し国を乗取る可能性もあったという。世が世なら立場が逆転していたかもと思うと秦檜に同情をしてしまう。
     
    写真は岳飛像と秦檜像。秦檜像の上にタンを吐きかけないでくださいとあります
     
     
     
     
    January 16

    杭州で見つけたもの-抱朴道院

    2005年の夏、家族で杭州に旅行した際、思いがけなく見つけたものがある。それは抱朴道院だ。これは中国思想史では重要な位置を占めるらしい抱朴子の著者、葛洪の道院だ。
     
    僕は子供の頃から中国的なものが好きで、ある時期、老荘思想にはまったことがあるが、これはそのキッカケを作ったような本だ。しかし抱朴子は道教に属し、老荘思想は道家に属し、実際には全く逆と言ってもよいほど違う。
     
    抱朴子には、やれどういう薬草をせんじて足の裏に塗れば水上歩行できるだのなんだの、要するに仙人になるための方法のようだ。一方、老荘思想ではそういう修行なんて意味がないと無為を説く
     
    また中国では抱朴子は仙人になる方法というより本草学(薬物学)に分類されているようだ。中国初の仙人になる方法が書かれた本は、周易参同契(魏伯陽著)だ。仙人と書くと胡散臭いが、要するに健康で長生きする人という意味だ。この流れはその後も綿々と受け継がれて今に至る。
     
    抱朴道院は山の上にあり、しかも順路ではなく悪路のため着いた時はふらふらだった。本堂に入ると、葛洪と三清という道教の神様が祭られている。写真を撮ろうとすると止められた。考えてみると、僕がこういう道院に来たのは初めてかもしれない。お寺とは違うすごい独特の雰囲気が満ちている。ギラギラした原色のイメージだ。
     
    これは仏教が現世否定的なのに対し道教が現世肯定で欲望を認める所から来るのだと思う。そういう仏教の清浄(すがすがしさ)に慣れている僕はたまらず道院を出た。
     
    January 14

    江南を忘れるなんてできっこない!

    以前、武術の師から拳譜というのをいただいた。その時は感激し数日にわたり見続け、1カ月でかなりの部分を覚えた。
     
    心意拳を学び数年が過ぎたある日、左右明拨という技の用法の解説が始まった。最初に師が手本を示してくれる。理解したつもりになり自分でも試してみるが師のように自然に動けない。さらに試すがダメ。またダメ。
     
    そんな時、師が拳譜の中の言葉を示してくれた。
     
                                             用時必須先上身
     
                            要するに手だけを動かすのではないという意味だ。
     
    それを聴いた途端、あれほどぎこちなかった僕の動きが驚くほどスムーズになった。
     
    こういう古い書の中の言葉というのは、自分がそのレベルに達しないと本当の意味が分からないということに気がついた。
     その後、またこれと似た経験をした。杭州に旅行で行った時、西湖のあまりの美しさ、すがすがしさに呆然となり、この気持ちを表現する言葉がなかなか見つからず、四苦八苦していると、急に何年も前に試験に合格するためだけに無理矢理憶えた白居易憶江南という詞が心中に浮かび上がってきた。
     
                          憶江南
     
                       江南好
     
                      風景旧曾谙
     
                      日出江花紅勝火
     
                      春来江水緑如藍
     
                      能不憶江南!
     
                      江南はすばらしい!
     
                      風景はもう脳裏に焼き付いた
     
                      日の出とともに、江の辺(ほとり)の花は火のように赤くなり
     
                      春になると、江水は藍のような緑になる
     
                       江南を忘れるなんてできっこない!  
     
    おそらく試験直前に憶えた古詩詞が50首ぐらいあったと思うが、試験が終るとほぼすべて忘れてしまった。この詞もあとから本を見て思い出した。
     
    白居易の気持ちと僕の気持ちが重なった時、初めてその詞の意境が理解できた。
     
    僕がこの詞を忘れることはないだろう。
     
     
    注:江南とは、長江下流南側の地。江蘇、安徽省南部と浙江省北部を含む。広く、長江以南の地方を指すこともある。