hiroshi's profile上海の風PhotosBlogListsMore ![]() | Help |
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November 06 中国で暮らすと-石灰の詩(于謙)私はもともと長崎出身の田舎者なのだが、東京に出て来てから人間不信のようになってしまった。いま上海に住んで8年になるが仕事や趣味を通じ多くの日本人の方々と接触をもち付き合いを重ねていく過程で人間不信がさらに強くなってしまった。特に仕事において。以前、某翻訳企業で仕事をしている時も私は心を開いているつもりだった仕事仲間(N)に裏切られた。その時は別の方から非常にフォローしていただきこの方(Cさん)にはいまだに非常に感謝している。CさんによるとNはほかにもいろいろ問題行為があったそうだ。そしてCさんもこのNのいる職場では働けないとはなしていた。
石灰詠
于謙
千錘万凿出深山
烈火焚焼若等閑
粉骨砕身揮不怕
要留清白在人間
石灰が詠む
深山から掘り出され
烈火の炎に身を焼かれ
粉になるのも恐れない
この世に潔白を残せるならば
これは明の政治家、于謙の詩。彼も多くの功績を立てながら最後は皇帝により殺されてしまう。おそらく中国の日本人の中にも彼のように正直ゆえに損をしている人が多くいることだろう。そういう人たちのためにこの詩を贈ります。
June 13 ライチがいっぱい-白居易も大好き!以前、初ライチのことを書いたが、いまがライチの最盛期らしい。どこの果物屋でもライチが大量に売られている。うちの食卓にも何度か現れた。ライチを見ると夏が来たという感じだ。
荔枝図序
白居易
荔枝生巴峡間、樹形団団如帷幕、葉如桂
ライチの生産地は湖北省巴北県西部。樹の形状は帷幕のようにまんまるで、葉は桂のようだ。
冬青、華如橘、春栄、実如丹、夏熟、朵如葡萄、核如枇杷、殻如紅缯、膜如紫绡、瓤肉莹白如氷雪、浆液甘酸如醴酪
冬は緑で、花は蜜柑の花と似ている。春、果実は真っ赤な丹砂のよう。夏、熟したライチは葡萄のように枝から垂れ下がる。その種子は枇杷と似ている。皮は赤いシルクのようで、その皮を剥くと果肉を薄い紫の膜が覆っている。真白な果肉は氷雪みたい。果汁は甘い中に酸味が混じり甘酒にヨーグルトを加えたよう。
大略如彼、其実過之。
大体以上に述べたようなものだが、実際は私の説明よりも素晴らしい。
若離本枝、一日而色変、二日而香変、三日而味変、四五日外、色香味尽去矣
枝から離れると1日で色が変わり、2日で香りが消え、3日で味も変り、4、5日後には色、味、香りとも無くなってしまう。
この白居易が書いたライチの説明は昔から名文として有名です。第一に、ライチの特徴を大きい点から小さい点に順番に説明している点。第二に10個の如を使って、形、色、質、味などを比喩を使い形容している点。第三に表現が簡潔で、たったの90字余りでライチの全てを説明し、ライチを知らない人にでもライチについての全面的知識を与えることができるからとあります。
私個人としては、白居易のような大文学者がライチについて文章を書いていることに驚くと同時に、白居易がライチを好きだったという意外な一面を垣間見た思いで、親近感を感じています^^ April 01 日本人と中国人の考え方の違い-魚之楽(荘子)私は今、四川省出身の嫁さんと息子の3人で上海で生活をしている。最近、息子の面倒を見るために四川省から嫁さんの両親が来てくれた。両親は近所で嫁さんの妹と同居している。毎日息子の面倒を見に来るので両親とは半分同居みたいな感じだ。家族の中では私が唯一の日本人。長年、中国人と同居を続けているうちに気づいたこと、それは
日本人も中国人もお互いに相手を完全には理解することはできない
ということ。
これは94年から足掛け12年近く上海に住んでいる私の結論だ。非情なようだが現実を見つめる必要がある。この出発点に立つのと立たないのとでは自ずと判断にも差が生まれる。中国人の家人に何度もこのことを話すが理解できていないようだ。もし私を普通の中国人と見なすなら、相互理解できない場合腹がたつだろう。しかしもともと相互理解などできないという立脚点に立てばしかたないと思えるはずだ。日本語も話せず日本文化など知らない家人に私の説明は理解できないようだ。そんなこんなを考えているうちに荘子の散文が思い出された。
荘子が友人の惠子と歩いている時、魚が泳いでいるのを見て荘子が
荘子:魚出遊従容、是魚楽也 魚が楽しそうに泳いでいる
と話しかける。惠子が答えて
惠子:子非魚、安知魚之楽 君は魚じゃないのにどうして魚が楽しいと分かるんだ?
荘子:子非我、安知我不知魚之楽 君は私じゃないのに、どうして私に魚の楽しみが分からないと分かる?
惠子:我非子、固不知子矣、子固非魚也、子之不知魚之楽。全矣!
私は君じゃないから、君のことは分からない。君も魚じゃないから魚のことは分からない。そうだろ!
荘子:请循其本。子曰‘汝安知鱼乐’云者,既已知吾知之而问我。我知之濠上也。
話を元に戻そう。君は、どうして私に魚が楽しいと分かるのかと言った。君すでには私がこのことを知っていることを知った上で私に尋ねた。私は橋の上で知ったんだ。
安知は怎么知道(どうして分かる?)、哪里知道(どこで知った?)という二つの意味があるため、荘子は惠子の質問を無理に後者と解釈し、橋の上で知ったと答えている。
高校の古典の授業で習ったこの問答が思い出された。最後の荘子の答えは、ロジックから見ると惠子に答えてないように見えるため、後世においても一体この問答、勝ったのはどっちかというのが議論されている。中国の高校の教科書では荘子に代って模範的な最後の一文を考えているものまである。荘子は最後にこう答えるべきだったとある。それは
你既然可以知道我不是鱼,我当然也可以知道鱼快乐。 君(惠子)は私が魚じゃないと知っているのだから、私も当然魚が楽しいと知ることができるじゃないか!
というもの。ウーンちょっと苦しいかも^^
古代も現代も相互理解は大変ということかな。
February 23 ジェイチョウ(周傑倫)の満城尽帯黄金甲-雷雨の映画化さっきテレビの芸能ニュースで、張芸謀監督の新作、満城尽帯黄金甲を紹介していた。これは中国現代文学の名作雷雨(曹禹)注の映画化という。しかし面白いことに、このタイトルは唐末に農民一揆を起こした黄巣が詠んだ詩の一部だ。
賦菊 黄巣
待到秋来九月八
我花開啓百花殺
冲天香陣透長安
満城尽帯黄金甲
秋、九月八日になるのを待って
(革命という)俺の花が咲き、他の花(高官)は皆殺し
天を衝くほどの花の香(軍隊)が長安にとどく時
長安城には俺の黄金甲(菊の一種)しか残らない
黄巣は自分を黄金甲(注)という菊の花に譬えて腐敗した唐朝を倒そうという革命への強い意思と遠大な志を詠った。
雷雨は1900年代初頭の中国の旧家庭の悲劇をテーマとした作品だ。旧家庭の主人の周朴園(チョウユンファ演)は鉱山の所有者で大金持ち。その長男の周冲をジェイチョウ(周傑倫)が演じる。また準主役を劉烨がやるという。おそらく鲁大海か周朴園の二男の周萍かな?周萍に恋焦がれる後妻役はコンリー(巩俐)だろう。
周萍は父の後妻、繁氏と男女の関係にあり、そして使用人の四鳳ともできていた。だが周冲も四鳳が好きだった。ここでは詳しく書かないが、じつは四鳳には大きな秘密があった。最後、あたかも天が罰を下すかのように、電撃がこの裕福な家庭に終わりをもたらす。唐末期と同じように、腐敗したこの旧家庭の泥池にジェイチョウがどんな黄金甲を咲かせるのか楽しみだ。だが鲁大海は唯一のまともな人間だから、ひょっとしたら最後に黄金甲を咲かせるのは劉烨かもしれない。
余談だが、ブルースリーのデビュー作も雷雨だった。リーの父親が李海泉という有名な俳優だったので子役で映画に出演した。
注:曹禹(1910-1980頃?)。本名は万家宝。裕福な家庭に生まれるも生母と死別。父から厳格な教育を受ける。代表作には日出がある。黄金甲とは、黄金の鎧(よろい)の意味。
黄巣の乱(875年)は、唐末に起きた農民一揆。一揆は失敗するも唐朝滅亡の一因になった。
February 08 深センの民工流出-韓信と劉邦と項羽7日付けの香港経済日報に、深センで旧正月明けの民工(出稼ぎ労働者)の流出をいかに食い止めるか、というのがある。毎年、春節明けに企業で働く民工がどっと減るらしい。写真に求賢榜(求人広告)というのが写ってる。記事の内容は民工の流出を防ぐため、企業がいかに腐心しているかというもの。香港企業が大型バスを四川省や湖南省の山奥に乗りつけて求人活動するとある。
その新聞記事の内容よりも、求賢榜という言葉が気になった。どこかで見たような気がすると思ってたら、これも劉邦と項羽の物語の主要な一角を成す韓信が、初めて劉邦に会いにいくシーンで見たものだ。大型バスの話も、劉邦の幕下で、一向に重用されず業をにやした韓信が逃げ出し、それを宰相の萧何が追いかけ引き止めたという話(萧何月下追韩信)を彷彿とさせる。
劉邦のもとで人事を担当している夏侯嬰の館の前に求賢榜が貼られていた。十数条の人材の募集条件が書かれている。計算が得意とか、戦略を立てるのがうまいとか、少しでも優れた才能があれば誰でもオッケーと。韓信は夏侯嬰との面談で、求賢榜に書かれている事は全部できると答え、六韬三略という軍略書を諳じて見せ、夏侯嬰を驚かせる。
劉邦と項羽の物語は史記(前漢[BC202-AD25]司馬遷)に収められている。2000年も昔の物語が現代人にも読まれるのは、そこに時代や場所に関係なく通じる普遍性が存在するからだろう。中国に四大名著というのがある。三国志演義(明、羅貫中)、西遊記(明、呉承恩)、水浒伝(明、施耐庵)、紅楼夢(清、曹雪芹)の四著だ。これももとから四大名著と言われてたわけではなく、長い時間をかけて名著と呼ばれるようになった。それもやはり普遍性があるからだ。いつ誰が読んでも心を打つ何かがそこにはある。 劉邦と項羽の物語の後半の主役は韓信と言ってもいいほど、彼の活躍ぶりは素晴らしい。同物語の中で僕が一番好きなのも韓信だ。エピソードも多い。最初、彼は項羽の幕下に仕えるも地位は非常に低かった。彼の才能を見抜いた参謀の范增が
韓信を重用しなさい。さもなくば殺しなさい
と進言するも項羽は取り合わない。
その後、韓信は項羽の幕下から逃げ出し、劉邦の元へと身を寄せる。項羽はその後、范增にも見放され、最後は垓下で四面楚歌にあい、韓信の率いる軍隊により悲惨な最後を遂げる。
一方、劉邦の幕下にいた韓信はめきめきと頭角を表し、元帥に就任し、富国強兵に努め、天才的な軍事の才能を発揮し、項羽を倒し劉邦に勝利をもたらす。
優れた人材を見抜き相応の報酬を与えた者が勝利し、人材を見抜けず疎んじた者が敗れた。
2000年も昔に書かれた史記に収められたこの物語が、現代人にも人気があるのは、才能を見抜くこと、人 材を育てることが大事であるという普遍的な事実(真理)をテーマにしているからではないかと思う。
February 07 劉邦とわが家の約法三章心意童子功をやることが自己の鍛練にもなると書いた。生まれたばかりの頃、3キロしかなかった赤ちゃんの体重もいまでは5キロに増え、その赤ちゃんを抱えた状態で心意拳のある動作を繰返すことで、自分の鍛練にもなるということだ。勿論超スローモーションで。
これと同じ事を子育てそのものについても感じている。上海在住の日本人の友人から貸していただいた育児書(日本語)には、育児する上での注意点が細かく書き記してある。授乳の注意点からオムツの交換、抱っこする際の注意、お風呂の入れ方などがじつに詳細に書かれている。その中に、子供の前での親の態度の注意点というのがある。親が子供の前で人の悪口や噂話を言ってないか。夫や自分の家柄、職業の自慢をしてないか、子供の容姿や発育を比べてないかなどなど。。。わが身を振り返り冷汗が出そうになった^^
ここに書かれている注意点を完璧に守っている人は少ないのではないかな。とりあえずわが家では、約法三章を制定した。約法三章とは、秦末期、腐敗した秦王朝を倒すため立ちあがった二人の英雄、劉邦と項羽の物語で、劉邦が秦王朝を打ち倒した直後、咸陽(秦の首都)の庶民に向い簡単な法規三っつを策定した故事のこと。
劉邦が咸陽の庶民に語る。
「皆さんは長年、秦王朝の厳しい法律の中で暮らしてきました。朝廷について議論しただけで打首になり、街頭で噂するだけで絞首刑でした。
私(劉邦)は漢中王として、皆さんのために簡単な法規を三っつだけ策定します。
第一、殺人は死刑。
第二、傷害は傷害罪。
第三、盗みは盗んだ物の大小により窃盗罪に処す。
そして秦の不合理な法律はすべて廃止します。皆さん安心してください」
秦は、英明な始皇帝が法家思想に重きを置いたことで発展したが、最後にはあまりにも厳しい法律に庶民は息もつけなかった。劉邦が咸陽に入ってまずやったこと、それは多くの法律でがんじがらめになっていた庶民を自由にすることだった。
わが家の約法三章
第一、子供の前でケンカしない。
第二、子供の前で悪口を言わない。
第三、子供の前でつらい顔しない。
僕たちも子供と一緒に成長しなければならないんだと思う。聖人君子にはなれなくても、できることから一つ一つやっていこう!
この法規は随時、改正、増加されるでしょうね。
それと、育児書を送ってくださったOさんありがとうございました。非常に助かってます。
January 11 フェイウォン(王菲)と宋詞-水調歌頭この間、芸能ニュースでフェイウォンが妊娠したというのをやっていた。
僕にとって最初のフェイは恋する惑星だ。フェイのよく言えば機械的な(悪く言えば吹っ飛んだ)演技がいい味出してた。トニーレオンとも息がビッタリ合ってた。
最近見た2046は難解なストーリーだが、そこにフェイの妙な存在感がスッポリと当てはまった。
李亜鵬(リーヤーポン)と結婚したのは意外だった。彼は金庸ムービーで主役を張るほどの大物だが、それにしては人気がなかったように思う。香港映画で完成されてしまった金庸作品のイメージを壊せなかったようだ。
中国ではよく、先秦の諸子散文、漢の賦、唐の詩、宋の詞、元の曲、明清の小説という言い方がある。唐詩は有名だが、宋詞はじつは中国に来るまでそれほど興味がなかった。
ある日、宋詞三百首という本を読んでいると、見慣れたフレーズが脳裏をかすめる。それは蘇轼の水調歌頭という詞だ。
明月幾時有?把酒問青天。不知天上宮阙、今夕是何年。
我欲乗風帰去、又恐琼楼玉宇、高処不勝寒。
起舞弄清影、何似在人間!
明月はいつからあるのだろう?酒を捧げ天に尋ねよう。月宮は今日は何の日だろう。
風に乗り月宮に帰りたい。けどきっと寂しさに耐えられない。
月宮でひとり踊っても、人界の賑やかさには敵うまい。
フェイがこれに曲をつけて歌ているのを想い出した。
蘇轼はもともと、自分を谪仙(月宮から人間界に落とされた仙人)という設定でこの詞を詠んでいるが、これがじつによくフェイの雰囲気プラス彼女独自の無感情な高音と合っている。
みなさんも今度フェイの水調歌頭を聞く機会がありましたら、谪仙のようなフェイの雰囲気を考えながら聞くと面白いかもしれませんね^^
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